新世紀の悪魔たち
－忘却に対する戦争から７年目、2001年のサパティスタのこどもたち－
反乱副司令官マルコス
メヒコ、2001年２月
避難中のグアダルーペ・テペヤックのこどもたちに
「ミゲル・カントゥンはカネックの友達だった。ミゲルは、自分のこどもを一人前の人間にしてほしいと手紙を書き、カネックに送った。それに対し、彼のこどもをインディオにするつもりだと、カネックは返答した」 エミリオ・アブレウ＝ゴメス『カネック、マヤ英雄の歴史と伝承』
これは政治文書ではない。サパティスタのこどもたち、彼らの過去、現在、未来に関する文章である。つまり、愛と……そして戦いの文書である。
こどもは、戦いと愛、そして出会いや別離を作り出すことができる。鏡というものは大人の世界では毛嫌いされ、回避されている。しかし、予測不能で無意識の魔術師のこどもは、鏡を使って遊ぶだけでなく、鏡を作り出している。こどもはまわりのものを改変する力をもっている。たとえば、ボロボロの古いハンモックを近代的な飛行機、丸木舟、あるいはサンクリストバル・デ・ラス・カサス市に行くための自動車に変えることができる。マールが与えた鉛筆で描かれたこどもの単純な殴り書きでも、錯綜したお話を語る原動力になる。そこでは、「昨晩」が時間や月を意味し、「すぐに」がこどもたちが英雄になる（疑う人がいますか？）来世紀を意味している。そう、架空のお話だけではなく、なによりもメヒコ南東部の山中の先住民のこどもたちなかで原動力になる。
ダンテの地獄には９つの領域がある。メヒコの先住民のこどもを取り囲む牢獄は７つある。空腹、無知、病気、仕事、虐待、貧困、恐怖、忘却、そして死である。
チアパスの先住民共同体ではこどもの栄養不良率は80％に達する。72％のこどもが小学校１年生を終了していない。どの先住民家庭でも、４歳になるとこどもは食事のため薪を切り出し運搬しなければならない。この牢獄を打ち破るため、幼少時から、激しく戦いつづけねばならない。全力で戦わねばならない。時には、戦争、忘却に対抗する戦争を展開しなければならない。
これが過去のこどもたちに関する文章であると、私は言ったばかりである。馬とそれに騎乗する「レディー・ファースト」の騎士たちに関する文章である以上、私は二度と繰り返されないよう願っているひとつの思い出から始めたい。
パティチャの思い出である。以前、私は彼女のこと、そして彼女を介して、メヒコの地下にいるすべての未存在のこどものことを話したことがある。
サパティスタの蜂起の原因については、出来栄えは別にして、ずいぶん多くのことが書かれた。この機会に私はそれらとは別の見方を提起したい。まだ生まれていないサパティスタ、つまり大多数のサパティスタのこどもたちのことである。５歳にならずに死んだこどもが３・４人いることは、メヒコの先住民の家庭では珍しくはない。メヒコ南東部の山中の何千もの人々、政府の掲げる「近代」から見捨てられた屋根裏にいる何万もの人々、つまり先住民族、この大地に最初から暮らす人々のあいだでは当たり前の現象である。
５歳になる前に、パティチャは熱病で死んだ。たった数時間の高熱によって、彼女の生きてきたわずかの年月と夢は焼きつくされた。
彼女の死の責任はいったい誰がとるのか？
彼女が消滅したことでどのような自覚が培われたというのか？
どのような疑念が解決されたというのか？
どのような恐怖が打破できたというのか？
どのような勇気が開花したというのか？
誰が手に武器をもつようになったというのか？
パティチャと同じ死がいくつあれば、1994年に始まった戦争は可能だったというか？
こうした問いかけは重要である。パティチャの死は世に知られない死だった。それは死とすら見なされていないと指摘したことがある。なぜなら、権力から見れば、彼女は生まれていない。しかも、パティチャという未存在の女の子は、夜の暗闇のなか、記憶に残されることなく死んだのである。
彼女の死に代表される暗闇は、1994年……この国のふつうの夜を照らしていた暗闇にほかならない。
Ⅰ
豊かな暗闇を論じる以上、漆黒の雲がどうして稲妻の強力な閃光に道を譲ることができるのかを論証するための科学的説明があるに違いない。イデオロギーに基づく説明はずいぶんたくさんある。儀式、本、コロキアムなどの場で、人間が夜の嵐の驚異を説明する以前から、暗闇は明るさを作り、夜は昼を生み、猛烈な炎は新鮮な息吹を生んでいた。
とても暗い夜明け前のことである。だが、気象学的にいちばん輝いているものを驚かせるため（あるいはそれを否定するため）、何本もの稲妻が東の地平線をビリビリと引き裂いている。その光は、夜の暗闇に隠れて輝いている木から落下している乾いた枝のようである。つまり、夜は黒い鏡であり、黄色やオレンジ色に身を焦がす影である。鏡である。鏡の縁枠を構成するのは地平線に広がる四方位である。地平線は上下に波打ち、樹木が茂っている。暗い灰色の鏡の暗い側から見ると、地平線はまるで一枚の鏡である。背後にあるものを知らせ、それを待ち望んでいる……鏡の暗い側である。
あらゆる歴史に影がある。サパティスタの歴史にも、われわれの光の部分の輪郭を描き出している影が少なからずある。われわれの歴史は沈黙の歩みというエピソードで満ちている。だが、その沈黙の歩みがあればこそ、叫ぶことが可能になる。運動を前進させるために沈黙するのは、数多くの男女である。いろんな場所にある数多くの顔によって、他のいくつもの顔が明らかになる。サパティスモが成功したのは、ネットワークを編成できたからだと指摘する人がいる。そのとおり、われわれの背後には、有能な技術や偉大な才能をもち、大胆に歩んでいる織り手が多くいる。世界の忘れ去られた者の反乱するネットワークの結び目には、微かだが白く輝く光が立ち上っている。だが、その影の部分では、ネットワークによって新しい描線や抱擁……が編まれている。
織り手や抱擁について話していたのだが、私は寝床にいるマールのほの温かい心地よさを諦めて、寝床から出た。この夜明け前を少しでも歩むためである。この夜明け、二月はまだ乱痴気騒ぎを繰り返しているが、すでに三月の野兎の到来が予告されている。その場所だけで、つまり下の世界の夜の領域である山では、暴風の到来を告げる暖かい湿気で興奮した数匹のコメツキホタルが乱舞している。
ハンモックの脇で、小さな影がむせび泣いていた。小人の正体が判別できる距離まで、私は近づいた。小柄で、ひげを生やし、年齢も身体もかなりくたびれていた。クチャクチャになり傷ついた赤いボール紙製の両翼、一対の小さな角、先端が矢の形をした尻尾が見えた。それから判断するかぎり、正体は悪魔と思われた。
そう、悪魔だった。散々な目に遭った悪魔である。惨めな……悪魔である。
「くそ、なんて惨めなざまだ！」とその小像はブツブツと口のなかでつぶやいた。
私は尻込みしなかった。私の頭や足はそこから早く遠ざかるように命令していたが、私は家（実際は小屋である。だが、皆さんに理解していただけると思う）の男性なので、家の女性であるマールを見捨てて立ち去るわけにはいかない。ペドロ・インファンテの映画を見すぎたせいで、私は家を守ることは自分の任務であると思い込んでいた。『マルティン・コロナ』や『マルティン・コロナ、ここに見参』の主人公を見習って、私は遁走しようという気持ちを押し止めねばならなかった。つまり、さきにも言ったように、最低限、マールに事前に通知しないままで逃亡すべきではなかった。マールとは私が家の男性を務めている家の女性である。
だから、私は「戦略的撤退」を行うつもりなど毛頭なかった。恐怖に取り憑かれた場合にいつもするように、私はパイプに火をつけ、喋りはじめた。私は不安定な気候について無意味なコメントをした。だが、返答がないので、私は……思い切って尋ねた。
「ぼくが考えていたことを聴いているの？」
「大声で叫んでいるくせに」とその小人は言った。
「おれを小人などと言うな！」と、その小……は金切り声で言った。
「ルスベル。ルスベルと呼ぶのだ」と私の考えのなかに突然介入してきた。
「『ルスベルだって？』これは夢だ。トリップしているのか。傲慢にもキリスト教の神に反抗して、罰として地獄に送られたのは天使のはずでは？」と私は一気に言った。
「そんな馬鹿を言うのはお前ぐらいだ。だが、まちがっている。歴史、不幸で耐えがたい歴史はつねに勝利者によって記述されている。この場合、勝利者は神である。だが、実際に起きたのは、給料と労働条件の問題だった。神が排除の条項を適用したために、労働組合、それも天使の労働組合なるものは神の領域になかった。御用法学者たちはわれわれの正当な戦いを貶しめる任務についた。その結果、われわれは今のようになったのだ」
ルスベルはこう言うと、ウアパックの木の根元に腰かけてくつろいだ。
その小さなものの正体はわかっていたが、私は言葉にしなかった。黙っておけば、彼は話しつづけるだろうと推測したからである。実際、そうだった。悪魔がこうむることになった途方もない恐怖と残酷な体験をルスベルは語りだした。そのお話は悲劇にして喜劇であり、おそらく……戦争の一部でもある。
Ⅱ
ルスベルはちょっと沈黙した……。天上の星と地上の星（コメツキホタルである）、そして夜以外に出歩くものはいなかった。私は再度パイプに火をつけた。煙草を喫いたかったというより、ライターの明かりで小悪魔の姿をよく見るためだった。新しい紫煙の輪がパイプの火皿から立ち昇った。最後の煙の輪が消えると、ルスベルは話しはじめた。
ルスベルが私にしたお話は、善良で良識あるキリスト教徒の気持ちをひどく傷つけるので、お薦めできない。とりわけ、高位聖職者たちが歴史の針を後戻りさせている今の時代にはよくない。だが、私は彼らと寛大さを張り合うつもりはないし、権力が貧しい人たちに押しつけている地獄をよく知っている。だから、それを気にする理由は何もない。いずれにせよ、私はルスベルが話したことを表記しただけであることを読者に警告し、銘記していただき、責務を果たすことにしたい。
さて、ルスベルが私にしてくれたお話の内容は次の通りである。
「金持ちたちと帳簿の神はとてもご満悦であった。自由貿易協定、第一世界への仲間入り、経済のグローバル化が実現したからである。神の創造物に較べてずいぶんくだらないこれらの代物はどれも地獄から生まれたとしか思えない。われわれ悪魔は、そのような恐怖にはとうてい耐えられない。
さて、問題となったのは、自由貿易協定の申し子を世話をするため、それぞれに対応する守護天使が神によって指定されたことである。天使の数はそれほど多くはない。おまけに、こどもの守護天使の仕事の給料はとてつもなく安かった。しかし、いちばん目立つ大天使の称号をもつ天使の労働組合のボス、ガブリエル某は、割り当てられた仕事を実行するよう配下のものに強制した。抗議の声があったが、その数は少なかった。こうして、自由貿易協定の申し子たちは専用の守護天使をもつことになった。
だが、お前たちサパティスタが1994年１月１日に武装蜂起する事件が起きた。そのせいで、神の記憶を含めて何もかもが変わった。これまで、神は先住民のこどものことをまったく考えていなかった。神は彼らのことを考慮しなかったとか、彼らを排除しようと考えていたのではない。彼らが存在することを知らなかったのである。
帳簿と金持ちの神はありきたりのパトロンだが、かなり時代遅れの存在だった。新自由主義にはサパティスタのこどもに別の生活を与える任務があるというのに、この神ときたら、自分の神聖な役目を実行しようと考えた。つまり、サパティスタのこども全員に守護天使を授与すべきだと考えていた。
ところが、手持ちの守護天使は残っていなかった。そこで、神は小悪魔を再生することにした。そのため、われわれ悪魔は屈辱的な取引の協定書にむりやり署名させられた。その協定は地獄における悪魔の主権を侵害するものだった。だが、地獄はいろんな経済問題を抱えていた。サンペドロと称する輩は、われわれの苦況に付け込んで、金融資金をわれわれに供与した。御想像どおり、それには悪魔的な条項が含まれていた。
さて、神は地獄の労働力をきわめて不公平な条件で雇い入れた。それ自体は、われわれ悪魔が天国との境界を横断するときに付けられている入国条件に影響を及ぼさなかった。われわれ悪魔は命令によって即時退去させられる第二級の被雇用者でしかない。そのことにわれわれはすぐに気づいた」
ここまで語ったルスベルはほっと一息ついたが、すすり泣きとしか思えなかった。そして、また……つづけた。
「金融権力の主権は全領域に及んでいる。そのため、神はわれわれ悪魔を働かせようとした。第一世界への仲間入りで舞上がったために忘れていた存在、つまりサパティスタのこどもの「守護天使」として働かそうとした。われわれの仕事は、罪人に良心を呼び起こし、無垢の人間を堕落させ、企業指導者を後援し、ケレタロ州のＰＡＮの知事［ロヨラ州知事、サパティスタの首都行進に関して、サパティスタは売国奴であり死刑に値すると表明］を「そそのかし」、オネシモ・セペーダ司教［超保守派のエカテペック司教］に助言し、フォックスの選挙後のキャンペーン運動の方針を策定することではない。現在、とても惨めな労働条件で、われわれ悪魔は地下のこどもの世話をしている。
われわれは守護悪魔になった！
本当だ！雀の涙ほどの惨めな給料で、神（地獄を含めすべてを創造したのは神であることを忘れてはならない）はサパティスタのこどもの世話をするようわれわれに強制している。これでも、神に親切心がある思っている人がいると信じろというのか！」
Ⅲ
ルスベルはしばらく沈黙した。沈黙の時間を利用し、私は文字を殴り書きした。誰も信じないかもしれないが、私もとても驚いたのである。急いでドン・エドゥアルド・ガレアーノ宛に数行の手紙を書いた。このお話を彼の本で少し説明してもらうためである。
第三千年紀の初め ドン・ガレアーノ様
21世紀冒頭の新自由主義のメヒコ、サパティスタのこどもはとても貧しく、守護天使などいません。その代わりにひとりの悪魔、守護悪魔を連れているのです。メヒコ南東部の山中で暴風が吹き荒れる夜、こどもたちは祈りの言葉をつぶやいています。
「守護小悪魔よ。いとしい仲間よ。あたしを見捨てないでね。夜も昼も。云々……」
では、お元気で。
副司令
（ガレアーノへの手紙はここまで）
会話体の文章の句読点の問題で編集の責任者をこれ以上錯乱させるつもりはない。そこで、この守護悪魔を悩ましている問題について一気に語ることにしよう。
Ⅳ
結局、ルスベルはある守護悪魔のチームのボスになった。サパティスタのこどもたち全員（相当数に達する）を世話するのに、いくつの守護悪魔のチームが必要なのか、私にはわからない。だが、ルスベルが率いるチームに割り当てられた仕事は地獄にふさわしいぞっとする悪魔的なものだった。つまり、ベト、エリベルト、イスミータ、アンドゥリオ、ナボール、ペドリート、トニィータ、エバ、チェリータ、チャグア、マリヤ、レヒナ、ジェニペル、そして戦慄の極致であるオリビオとマルセロの世話をする仕事である。
ベトの守護悪魔の役割が回ってきたとき、ルスベルは絶望的になった。このこども－兵士の波瀾万丈の生き方に対してではない。ベトは自由貿易協定の時代のブラックホーク型のヘリコプターだけでなく、迫撃砲付きのハンマー型戦車の装甲車に対しても、勇猛果敢にパチンコで挑戦する。あるいは、家のカマドで燃やす薪を探すために行う非常につらい丘や断崖の登り降りでもない。そんなものではない。ルスベルを絶望させた（そして、護衛対象を替えてほしいと要請させた）のは、ベトがつぎつぎと投げ掛ける疑問である。
大都会はどれくらい遠くにあるの？
その大都会はオコシンゴより大きいの？
海の大きさはどれくらいなの？
そんなに大量の水は何のためにあるの？
海で暮らしている人たちはどうやって生きているの？
ヘリコプターを打ち落とすことができるパチンコはどれくらいの大きさなの？
兵士は向こうに家や家族がいるのに、ここでわれわれの家を奪ったり迫害するの？
海が空と同じくらい大きいなら、なぜ海を裏返して政府のヘリコプターや飛行機を溺れさせないの？
こうした質問の嵐に困り果て、ルスベルは配置転換を申請した。だが、状況は好転しなかった。なぜなら、……エリベルトの世話をすることになったからである。
「おぞましいものだった」とルスベルは告白している。
「あの子は文部省と同じぐらい学校を憎んでいる。労働組合のボスと同じぐらい教師を嫌悪している。遊んだり、甘いお菓子やチョコレートを掻き集めるほうが好きだった。甘いお菓子を包んでいるセロファンの音を耳にした彼を追いかけるのに、どれほど駆け回らねばならないことか。お前はわかっているのか！」
エリベルトの後、ルスベルはイスミータの世話をすることになった。
ルスベルは私に話してくれた。ある日のこと、イスミータはマリケル（女の子はこう呼ばれていた。私のせいではない）と喧嘩をした。マリケルがイスミータのもっていたナンセ（果樹）の果穂を壊したからである。マリケルはとても小さいのに、大きな果樹をどうやって壊したのとルスベルは尋ねた。
「木にぶら下がり、枝を折ったんだ」と言いながら、イスミータはマリケルを非難するように見つた。マリケルはほかのこどもと連れ立って、アグアスカリエンテスの売店の襲撃に夢中になっていた。襲撃はルスベルが組織したものだった。彼の説明によると、「こどもたちは、統治者になることを含めすべてのものを自力で手に入れねばならない」のである。イスミータは10歳前後だが、記録的な栄養不良のせいで、４歳のこどもの背丈しかない。イスミータは身長の低さを精神的な大きさで補っている。イスミータはマリケルがナンセの果穂を壊したことを許しただけでなく、売店の襲撃で手に入れた清涼飲料水やクラッカーを彼女に分けてやった。それを咎めたルスベルにイスミータは答えた。
「だって、誰もマリケルにお菓子をやらなかったんだよ」
気前のよさは黄泉の国の住人ルスベルの感情を高ぶらせるものではない。そこで、ルスベルはアンドゥリオの世話をすることにした。
ずいぶん歩いた後、ルスベルはアンドゥリオの家に辿り着いた。彼はほほ笑みがまぶしい男の子である。1995年の軍の迫害を受けた恐怖の日々、われわれはアンドゥリオと知り合うことになった。５月になると、熱い風が吹き付け、昼も夜も焦がしていく。朝が明けると、アンドゥリオは木の上に登り、七面鳥の鳴き声をまねていた。彼はわれわれにあまり近づこうとはしなかった。だが、ある日の午後、われわれを受け入れたのか、彼はカセットレコーダーを貸してほしいと言ってきた。そして、クンビアのリズムにあわせて踊りだした。その時、ポスターの前にいたマールが、副司令はどこなのとアンドゥリオに尋ねた。一瞬ためらったものの、すぐにアンドゥリオは振り返って、私を指差した。副司令がポスターと扉の枠のなかに同時に存在することはありえなかった。生身の私を指差すことで、アンドゥリオは自分なりの唯物論哲学を強調したのである。そう、アンドゥリオには生れつき手がないのを言い忘れていた。形成不全で、両腕の先端は切れていた。
「手はないけど、そのこどもは天使のほほ笑みを満面に湛えていた」と言って、ルスベルは新しい職場の変更を正当化した。そして、彼はナボールのもとに赴いた。
ナボールの世話もルスベルにとってよいものではなかった。まだ３歳のくせに、彼はカサノバですら恥じ入るような激しい性衝動をもっていた。ルスベルは赤面するしかなく、ナボールの世話をきっぱりとあきらめ、別の村へむかった。こうして、ルスベルは避難生活を続けるグアダルーペ・テペヤックに辿り着いたのである。
メヒコ連邦軍によって家から追い出されたトホラバルの共同体で、ルスベルはペドリートの「守護天使」、いや失礼、守護悪魔を務めることになった。ペドリートは避難生活中に生まれたグアダルーペ・テペヤック村のこどもである。第１回「人類のため、新自由主義に反対する大陸間集会」が始まった日［1996年７月27日］、母親は彼を産んだ。３歳のペドリートには同じ共同体で生まれたリノという友達がいる。リノは1995年２月９日に生まれた。だが、誕生して１時間もしないうち、兵士たちによって家から追い出された。
ペドリートの話に戻ろう。彼は学校に行きたくないという。共同体の集会でその問題を討議すると、彼は脅かされたようである。だが、そうはならなかった。学校に行かないのなら、メヒコ人民と世界中の人民と諸政府にむけたコミュニケで君を告発することになるよと、私もペドリートに警告したことがある。だが、ペドリートは私をじっと睨み、両肩をすくめながら、次のように言い放った。
「いいよ、コミュニケを送ってよ。ぼくは読めないけどね」
「まだほんの３歳なのよ」とマールはペドリートを弁護した。ペドリートは彼女を見つめ、恋するようにため息をついた。だが、これはまた別のお話である。今は、われわれが話題にしているのは、ペドリートの世話をしているルスベルのことである。
ペドリートは馬と遊ぶことになった。ルスベルが馬の役割をすることになったと考えてください。ルスベルがその役目を辞退することは簡単に予想できるだろう。
「あの子は腹帯をきつく締めすぎるんだ」と言って、ルスベルは辞任を正当化した。
Ⅴ
ペドリートの後、ルスベルは世話する相手を少し穏やかな性に代えることにした。そして、ひとりのサパティスタの女の子の世話することになった。トニィータである。
ルスベルはトニィータの性向をまったく気に掛けていなかった。彼女は「チクチクすること」（彼女が自分の性向を「健康的」と評価するのに私は呆れた）よりも愛を軽蔑している。だが、ルスベルは、彼の翼を切ると言い張っていたトニィータによって人形として再利用されもしなかった。
「翼を切られそうになったのは、お前だけではないさ」と私は恨めしそうに言った。
守護悪魔はすべてに耐えた。しかし、サパティスタの女の子たちの……生命である茶碗を壊しては、また貼りつけるという作業の連続に、ルスベルは耐えきれなかった。
トニィータの守護悪魔の職を辞して、ルスベルはエバの世話をすることにした。それも長続きしなかった。ペドロ・インファンテとミロスラバ主演の『漂泊者の学校』の15回目の観賞中、ルスベルが眠りこけたのに付け込み、エバはいくつかの小さな花と「EZLNばんざい」をルスベルの翼に刺繍した。恥ずかしくなってルスベルは出ていくことにした。
エバの次にルスベルが世話をしたのはチェリータである。褐色の肌、星のような黒い瞳をした６・７歳の女の子である。ルスベルはとんでもない目に遇うことになった。チェリータに見つめられたとき、ルスベルは凍りついてしまった（悪魔にはちょっと不適切な温度である）。彼女に天空に（追放された以上、悪魔にお薦めできる方角ではない）放り上げられたルスベルは、こともあろうか、「ごめんなさーい！」と叫んでしまった。魂を奪われた、いや失礼、翼をもがれたと感じたルスベルは、チェリータの世話をやめ、チャグアのもとに赴くことにした。
チャグアは、その名前であるチャグアが本名ではなく、ロサウラが本名であった。しかし、誰も彼女をロサウラとは呼ばなかった。彼女はたぶん８歳ぐらいである。やんちゃなこどもたちの小さなグループを率いるのは男の子ではなく、チャグアという名の女の子である。セミを捕まえるため木にいちばん早く登るのも、石と泥の合戦でいちばん勇猛で腕の確かなのも、いちばん先陣を切って突進するのも、そのチャグアである。これまで、誰も彼女が慈悲を乞う声を聞いたことはない。ところが、われわれに近づくとき、チャグアの様子はまったく違ったものである。チャグアはしなやかで優しい女の子になる。マールに抱きつくと、お話をして、髪を櫛ですいて、自分を抱きしめてとおねだりをする。そして、ときおりため息をつきながら、じっと黙ってしまう。
チャグアの「優しい憤怒」によって引き起こされた混乱のせいで、ルスベルは職を辞したのではない。大混乱のさなか、投石がルスベルの頭に当たり、そのせいで小さなこぶが出来てしまった。そのこぶは、まったく無用な第３の角になってしまった。こうして、ルスベルは別の女の子、マリヤの世話をすることになった。
マリヤは７歳ぐらいである。彼女は村いちばんのパチンコの名手である。この大地におけるわれわれの歩みのなかで、われわれ、われわれと人々はそのことに気づいた。
数時間ほど歩いた後、マールと私は小屋の入り口に崩れるように腰をおろした。われわれの息が整なわないうちに、ウベル、サウル、ピチート、そして名前をよく知らない男の子たちが何人もやってきた。全員がパチンコをもっていた。そして、誰がいちばんパチンコが上手なのか、的当て競争をしてみようと言いだした。マリヤはすでにマールの隣に座っており、何も言わなかった。私は寝そべったまま、パチンコを射つ順番を決め、10歩先に缶を置くように指示した。全員が射ったが、缶は微動だにしなかった。
私が全員が射ったかどうかを尋ねたところ、「マリヤがまだよ」とマールが言った。
全員がわいわい言っているさなか、マリヤは立ち上がるとパチンコを構えた。
男性の集団（そのなかに私は含まれていない。私がフェミニストを気取ったからではない。立ち上がって私の属する性を支援する気力はなかった）からは、彼女の参加を非難するようなざわめきが広がった。
マリヤが軽蔑の眼で男の子たちを一瞥すると、彼らは黙った。冷やかしというより、期待感に満ちた沈黙があたりを支配していた。
マリヤはパチンコのゴムをいっぱいに引くと、パチンコの教本通り、目を閉じて弾を射った。すると、缶は大きな金属音とともに飛び上がった。
マリヤとマールは一斉に勝利の叫び声をあげた。
「私たち女性の勝ちよ！」
われわれ男の子たちは呆気に取られ、後悔の気持ちを抱きながら、うつむいたままだった。男の子たちを慰めるため、私は言った。
「気にするな。次の時はマリヤぬきでパチンコ当て競争をすればいいのだから」
誰も納得しなかったようである。
パチンコは女性がするものではないという「昔風」の教育をルスベルは受けている。ゴムのパチンコで缶を射るという辛い（元）男性のスポーツで、マリヤに負けてしまった。そのため、ルスベルは、いわば「マチスタ意識の危機」を抱き、消耗したのである。こうして、ルスベルは別の場所に行ってしまった。
別の共同体で、ルスベルはレヒナの世話をすることになった。彼女は９歳か10歳のはずだが、30歳のような立ち振る舞いをする。大人びて責任感のあるレヒナは年下の兄弟姉妹の姉であり母親である。反乱兵士を支え、地区でトルティーリャ作りがいちばん上手く、笑った笑顔は太陽そのものである。ルスベルは地獄で焦熱を体験していた。それにもかかわらず、コマールの上でトルティーリャを引っ繰り返す際に、指が火傷するのには耐えられなかった。結局、ルスベルは職を辞することになった。
ルスベルは私に弁解した。
「火傷のせいではない。火をおこし、トウモロコシを挽き、トルティーリャを作るためは、早朝の４時に起きねばならなかった。そうしないと、一日が…始まらないんだ」
不眠と指の火傷を抱えたまま、ルスベルはジェニペルの世話をすることになった。
どうすれば小鳥が機械に打ち勝てるのか。ジェニペルは最適の事例を提供してくれる。ヘリコプターが共同体の上空を飛行したとき、ジェニペルはヘリコプターを質問攻めしながら追い掛けた。猛々しい質問攻めの前に、さすがの戦争装置も退却せざるをえない。しかし、ジェニペルはコキジバトやハチドリとともに飛び回りつづける。飛び回っているとき、ジェニペルはどこにでも入り込む。その近くを恐ろしいカピルチョとカピロテが徘徊していないかぎり、ジェニペルは誰も恐れはしない。
ジェニペルの世話に関しても、ルスベルはほんの数時間しか我慢できなかった。私に説明したところによると、仕事の配置転換を申し入れたのは、政府のヘリコプターや飛行機が恐かったからではない。
「あんな風に飛び回ったことはこれまで一度もなかった。どうやら、私は墜落した…天使になってしまった」とルスベルはお尻を撫でながら言った。
ルスベルは堕天使になったわけではない。ほら、人員不足のせいで、二人の男の子、オリビオとマルセロ、つまりカピルチョとカピロテの世話をするという仕事がルスベルに割り当てられたのである。
Ⅵ
カピルチョ軍曹と自称するオリビオは、大きくなったら副司令官になるんだと、私に告白したことがある。彼の野望が実現した暁には、私が失業するということがわかっていたオリビオは私に尋ねた。
「そのとき、副司令は何になるつもり？」
「僕が？」と言いながら、私は時間を稼ごうとした。
「馬になる。こどもの馬だ。そして、ずっと向こう、はるか彼方まで行くつもりだ」
こう言いながら、私は地平線のはるか彼方を指差した。
「軍曹でもいいんだよ」
オリビオはこう言って、私を慰めてくれた。その一方でオリビオはキジバトの姿に気づいていた。一羽のキジバトはカピルチョの階級昇進の野心と首にぶら下げた恐怖のパチンコのことなど何も知らないかのように宙を舞っていた。
「カピローテ伍長です」
何と呼ばれているのと尋ねられたマルセロはこう答えた。おそらくは彼の「階級」に応じた軍法典に基づき、何も気兼ねせず、マルセロは好きなところに顔を出し、甘いお菓子やチョコレート、眉唾物のお話をおねだりし、水浴する女性を覗き見しようとする。
オリビオとマルセロ、つまりカピルチョとカピローテ。二人の男の子はお互いに喧嘩をしながら遊んでいたかと思うと、突然、詩を歌いだす。彼らの詩のレパートリーは４つしかない。しかし、あれこれ工夫をしながら、その４つを組み合わせる。その結末は？アイスキャンディーやチョコレートを手に入れるか、「ビー玉」遊びをするか、いつも失敗するのだが、ムクドリを狩りに出掛けることができれば、結果はどうでもいいのである。カピルチョとカピローテの考えでは、お互いに無愛想にするには、一羽の太ったムクドリを一緒に食べるのが最適である。
この二人の小人、失礼、こどもは充電し過ぎたバッテリーをもっている。二人とも７歳を越えたばかりで、日毎にその行動半径は拡大している。イバラが生えている二次林の薮に入り込んで、「エレジョ」（全長１ｍにも達するトカゲの一種）を追い掛けるが、すぐ近くまでは追いつけない。ルスベルはあちこちと引き回され、翼は刺さったトゲや擦り傷だらけになる。ルスベルは（パチンコのための）小さな小石の入った袋に押し込められ、絶えずブラブラと揺すられ、「気絶」させられてしまう。
夜に体力を取り戻す余裕など、ルスベルにはない。朝早くから、二人の後について、カタツムリ、蟹、ザリガニを捕まえたり、コーヒー畑に出掛けたり、蟻や蜂、共同体にいるあらゆる「野生」動物に刺されたり、ペシャンコのボールを蹴ったり、手近にある物すべてを食べたり、けっして起きたことのない手柄話に聞き耳をたてねばならない。ルスベルをいちばん憂欝にさせるのは、パチンコ遊びの標的にされていることである。
時間が誕生したはるか昔に生まれたルスベルはずいぶん年をとっている。年のことを言ったのは、彼のことを同情してもらうためではなく、理解してもらうためである。私はカピルチョとカピローテをよく知っているので、私は請け合ってもよい。神（ついでに言うなら、神も若くはない）でさえ、二人の世話をする仕事で消耗してしまう。
だから、ルスベルがサパティスタのこどもの世話は金輪際願い下げすると言ったとき、私は少しも驚かなかった。
「もういい。コソボかルアンダ、あるいは国連が戦争推進の使命を実行している別の場所に行くよ。そこのほうがここより落ち着けるはずだ」
こう言いながら、ルスベルは立ち上がった。立ち去るときに、彼は付け加えた。
「さもなくば、エカテペック司教区［オネメシオ・セペーダの司教区］か、メヒコの企業家のドームに行きたいよ。いずれも、同じものだけどね。そこに行けば、腐敗、嘘、侮辱、強奪など、私のような正統的悪魔にふさわしいすべての悪があるからね」
ルスベルの絶望と心痛は私にもよくわかった。時間の転換とともに、これらのこどもの後について歩かねばならないことがわかったとしても、私には天使の労働組合を組織する気などない。そのことは言うまでもない。
ホタルコメツキの光を利用して、私はエドゥアルド・ガレアーノへの手紙に追伸を書き加えた。
「追伸－データの追加
ドン・エドゥアルド様、メヒコの先住民の山に神はいません。お布施を施すものはいませんが……悪魔がいます」
もう、そろそろ夜が明ける。私はルスベルに別れを告げ、マールと一緒に帰った。
Ⅶ
避難生活をしているグアダルーペ・テペヤック村のサパティスタのこどもの大多数は、元の村から離れた場所で生まれ育った。現在のメヒコ政府には以前と別の政党が居座っている。しかし、これらのこどもが、われわれに降伏を強要するための（現在、「変化のプロモーター」と自称する連中の）人質である状態は今も変わりはない。これらのこどもに何か変化があったと言えるのか？元の村の歴史はこどもにとって時間も空間も隔たっているお話である。こどもたちはその場所に戻るにはとても長い旅が必要だと考えている。
複雑でさもしい政治的計算や馬鹿げた強欲さをもつ連中が、サパティスタを自分の暮らしている村から追放した張本人である。しかも、彼らに属していたものを返還するのを拒否しつづけている。
この流浪の村だけではない。すべてのサパティスタ共同体のこどもたちは、戦争のなかで育ち、青年や大人へと成長してきた。しかし、考えれることとは違い、この人々から受け取る教えは憎悪や復讐ではない。ましてや、絶望や悲哀でもない。そうではない。メヒコ南東部の山中で、「希望」が皆と一緒に口に出す言葉であることを学びながら、こどもたちは成長する。そして、尊厳と他者に対する尊敬をもって生きることを身につける。おそらく、これらのこどもたちと他の場所のこどもたちの違いは、前者が小さなときから明日を見ることを学んでいることだろう。
数多くのこどもがメヒコ南東部の山中で誕生している。彼らはサパティスタになるだろう。だが、彼らは守護天使を手にすることはないだろう。われわれ「気の毒な悪魔たち」は、こどもたちが大きく成長するまで、見守っていかねばならない。われわれサパティスタのように偉大な存在、……より小さな存在になるまで。
メヒコ南東部の山中から
反乱副司令官マルコス
メヒコ、2001年２月
出典－La Jornada Perfil,2001/2/22
|